22日
カトマンズ空港へ到着。 昼間だったので空港やカトマンズの街並みを見下ろすことが出来、こんなところに俺はきちゃったのか、といきなりカルチャーショック。ボビン、JUNEさんなどなどと合流できた。

早速ボビンの生まれ故郷のパタン、ダルバート広場にあるホテルへ。 世界遺産のどまんなかでボビンは生まれ育った。古いものは鎌倉時代くらいからあったり、もっと前からの建物もあったりとなかなか素敵な街でボビンは育った。
ホテルからの眺めもこんな感じ。

チェックイン後、ボビンの生まれ育ったと言う広場と旧家をみに。
これがバズラチャルヤ家一族が暮らしていた場所。 敵の侵入などに備えて、入口は一か所。

その後すぐに現在の家に招いてもらった。 ボビン家がこれ。 
ボンボンですね。彼は。 日本だってこんな家なかなか住めない。
その後JUNEさんたちも合流してダルバードというネオアール族が好んで食べる夕飯をみんなで食べた。
これは日本にいるときからボビン家でよく食べていた。相変わらずうまい。

その日は旅の疲れをいやすためと明日からの忙しいネパールでの生活に備えて就寝。この部屋で一泊1200円

ネパールの気候は暖かい。日本より全然過ごしやすい。でも停電が12時間毎日必ず訪れたり、水でお風呂に入らないと行けなかったりで、不便なところも沢山。 そんなネパールにボビンは文句を言っていた。今の政府は最悪だって。だからこそ、ボビンみたいな世界を知ってるネパール人が変えていかなければいけないんだけど、マオイズム(カンボジアを支配するそれとは若干、違う)にほぼ支配されたと言っても過言ではない情勢ではなかなか難しいのかもしれない。そもそも変えようと言う気も彼らは持ってない感じもした。
次に日はJUNEさんと一緒にタメルという町で買い物をすることになっていたので朝早くに起きてパタンを散歩しながらJUNEさんたちが泊っているホテルを目指した。


パタンから、川沿いに出た。
ネパールの中でも最下位な暮らしをしてる人たちの下等地区。

川からは異臭が放たれ、犬の死体も転がってる始末。 ここに暮してる人たちが出した生活排水、生活ごみは全て川へ捨てられる。勿論それだけではなく、いろんな階級の人たちの業と言う業がこの川に注ぎ込まれる。
戦後間もない日本もこんな感じだった筈だし、現に自分が子供の頃の川、海の汚さったら無かった。ドンドン上下水道、ごみ処理の技術が行政、政治で代わり現在に至るがネパールもまだまだ時間がかかりそうだし、それ以外にも問題が山積みだ。
時間も無くなってきたのでタクシーでホテルに向かう。 全然、ホテルの場所を見つけられなくてぐるぐる回るはめに。(ネパールのタクシー運ちゃんは全然道知らない)

タメルに到着し、みんなと街を散策。 JUNEさんはこの辺りを熟知してて、入るべき店、そうでない店はほとんど掌握してる感じだった。特にチベットから入って来てるアンティーク、ブータンのアンティークが見ていて楽しいし物欲をそそる。

ストールも、問屋はこんな感じで一枚日本円で300円~500円くらい。

活気がすごい。

買い物も一通り終え、ネパール最大のストゥーパがある場所へ(名前忘れた。ダルバードみたいな、そんな名前。似た名前が多すぎ)。

ヒンズー教徒が9割のネパール。残り一割が仏教徒。ボビンともその辺の話は沢山したが、正直密教と言うだけあって情報がかなり煩雑。 仏教とは全然違うので仕方がないが、釈迦族の生まれたルンビニがある土地とは思えないくらい仏教の歴史もちゃんとした形で理解していない。日本人のルーツでもあるここをしっかりと理解する必要が我々にもある。
ストゥーパをバックに食事。チベット料理のMOMO。 かなり旨いです。


その後、JUNEさんとチベタンファニチュアーの倉庫へ。 ここは一般の人は入れない場所で、良質の家具が沢山。 どれもかるく100年は超えてるアンティーク。

そして次の日、今回の旅の一番の目的、ボビンとゆみちゃんの結婚式。
ネオアールの古い形式の、結婚式。 衣装も絢爛優美で朝7時から仕込んだらしいです。たいへんだったね、ゆみちゃん。

なんかこの写真ボラギノールの宣伝の写真みたいになっちゃった。↑
JUNEさんと正装したボビン。

ボビンの家に入るための儀式。

そして会場をボビン旧家の広場に移動。
これまたすごい人数が集まってみんなでネオアールの伝統料理と酒を食す。


ビバ(ボビンの妹)も実は結婚をしたので合同でお祝い。

僕らも食事を頂いた。ネオアールの伝統料理。 おいしいものも、これはちょっと、というものもありましたが、手でちゃんと頂きました。下のお米はブジといって、米を平たくして乾燥させたもの。これはあごにきく、、、。

おそらく、700名くらい集まったらしいこの日のパーティー。かなり盛大でした。
結婚式も無事に終わり、次の日からJUNEさんたちはシャンティーウッサブというイベントの為にキャンドルを作る作業が始まったので僕とミュージシャンの青谷明日香さんは次の日からポカラへ。
ボビンの知り合いの日本語をしゃべるガイドのパッケージで飛行機でヒマラヤを一望できるポカラへ向かいました。
飛行機からみた景色。↓

30分の飛行であっという間に到着。 現地ガイドのアナンドラさんと合流。
その日はナイトマーケットとフェワ湖をちょこっとみて、翌朝、早朝のサランコットからの御来光を拝みに行くツアーに備えて就寝。
朝5時から山登り。 夜明け前。とんがってるのがマチュプチャレ。聖なる山として、ネパール政府が登山することを許してません。

そしてこれがアンナプルナ、左の奥に見えるのがダイアギリ。

夜が明けてくるとこんな感じ。

このスペクタクル感は、いかないとなかなか伝わらないかな。
何にしても、ポカラ、というかネパールのだいご味はこの山にあると思います。いつか、アンナプルナ周りをトレッキングしたい。
ガイドのアナンドラ。↓

彼はヒンズー教徒なんだけど、親日家で日本語も日本にいったこともないのにけっこうしゃべれる。こちらの人はみんな頭がいい。
そしてネパールの人はみんなシャイだけどいい人。親切。 日本人と気質が似ている。
ポカラで独身女性でも仕事が持てるように、自立支援をしている会社の工房をお邪魔しました。こちらでおられている生地はPOPでセンスが良く、この生地で作られるカバンを今後日本に輸入することにしました。その件はまた今度。


夏にしょいたくなる感じ。でしょ?
そして夜は仲良くなったガイドのアナンドラのおうちで奥さんの手作りダルバードを頂きました。
おいしかった。20:00に停電になるから急いで食べろ~って、日本じゃありえないよね。

帰りはバスで山道を7時間かけて帰りました。 青谷さんお疲れさまでした。
ネパール絨毯の編み方を教わる青谷さん↓ (聴いてるようで聴いてなさそうな表情してる)

カトマンズに帰ったら空気の汚さにびっくり。 正直、東京は深呼吸できるくらい空気奇麗なほう。カトマンズは埃と排気ガスで大変な事になってます。
環七ぜんそくみたいな、カトマンズぜんそくとかありそう。
戻ってすぐにJUNEさんたちと合流してチベタン料理の高いお店にJUNEさんのおごりで連れてってもらいました。
どれもめちゃうまかった。チベタン料理、うまいよ。

そして、ネパール最終日はいよいよSHANTI UTSAV というJUNEさんとボビンたちが立ち上げたイベント。
寺院の中を貸し切って、日本と、ネパールのアーティストが演奏します。日本とネパールの交流イベントですね。
もっとトークとか欲しかったけど、ボビンも自分の結婚式とかいろいろとTOO MUCHで仕切りきれてなくて大変そうだったけどまぁ、いいイベントだった。
こんな感じのところ。

candle JUNE


ネパールの孤児院の子たちがJUNEさんに教えてもらって作ったキャンドルを抱えながらヨーハーディン??だったけかな。ゴスペルの人と合唱。

孤児にはなりたくてなってるわけではない、そうおもうかもしれないけど実は現状は違う。 物乞いと窃盗だけで実は簡単にやっていけてしまうので好き好んで孤児を選んでる子たちが沢山いる。
最初は街中で金をせびってくる彼らに心を痛めていたわけだが、実情をしって、そんな未来ある彼らにもっと価値的な選択肢を与えてあげたいと思った。
その一つがこのシャンティーウッサブというイベント。 日本とネパールの交流の時間を楽しみに、一生懸命キャンドルを作った孤児院の彼ら。 そのキャンドルが彼らの明るい未来を照らす日を一日でも早く想像していきたい。
青谷さん

SOULSETのトシミさん

ボビンと天草

JUNEさん

インドの古典バンド。 なまえわすれた、、。

こうしてイベントは無事におわりましたとさ。

兎にも角にも、ネパールは全然初めて行った感じがしなくて、居心地もよく、また行きたい国です。
次はもっと仕事も交えて行きたいなと思っており、実はJUNEさんとも色々とたくらんでます。
日本もネパールももっと良くしていけるはず。もっともっとね。
ボビン、また会える日を楽しみにしてます。